人と記録

戻ることは、終わりではなかった――池江璃花子、東京からパリへ

「戻ってきた」という言葉では足りない時間がある。池江璃花子が再び世界の舞台で泳ぐまでには、治療を越え、競技者としてもう一度勝敗の世界へ身を戻す長い道のりがあった。

競技競泳
東京2020リレーで五輪出場
パリ2024100mバタフライ個人代表
池江璃花子の本人写真
Photo: 江戸村のとくぞう / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
この記事の目次

競技以前に、生きるための治療があった

池江璃花子は2019年2月、急性リンパ性白血病と診断され入院した。公式サイトの退院報告によると、化学療法中に合併症を併発し、治療継続が難しくなったため造血幹細胞移植を受けた。12月に退院しても治療は続き、当面は陸上トレーニングから体力を戻す段階だった。

この期間を「アスリートの故障」と同じ言葉で扱うことはできない。まず競技ではなく生活と健康を取り戻す時間だった。プールへ戻る時期すら未定。かつて日本記録を連発した選手が、競泳以前のところから身体を作り直すことになった。

戻っただけで、物語は終わらなかった

2020年8月に実戦復帰。2021年には日本選手権で4種目を制し、リレーで東京オリンピック出場へ届いた。驚異的な復帰として大きく報じられた。

しかし「病気から戻った=以前の自分へ戻った」ではない。競技者にとっては、戻った瞬間から再びタイムとの比較が始まる。病気以前の自分、世界のライバル、若い国内選手。復帰そのものを祝福される立場から、また勝敗を求められる立場へ戻っていく。

パリ、個人種目で決勝へ届かなかった涙

2024年パリオリンピック。池江は2大会ぶりに個人種目の出場権をつかみ、100mバタフライへ出場した。予選を通過したが、準決勝は57秒79、全体12位で決勝進出を逃した。レース後、涙を見せた姿も報じられた。

「病気を乗り越えて五輪へ戻った」というだけなら、十分すぎる物語に見える。けれど本人は競泳選手として、決勝へ行きたかった。だから悔しい。周囲が「出られただけで素晴らしい」と慰めても、本人が求めたタイムと順位は別にある。その悔しさを尊重することも、選手に寄り添うことだと思う。

リレーで5位。個人の悔しさと、チームの喜び

大会終盤、女子4×100mメドレーリレーで日本は5位。池江も決勝メンバーとして泳いだ。個人の100mバタフライでは決勝に届かず、リレーでは世界5位。大会の中で感情は一色ではない。

復帰した選手の物語を「最後はメダルで感動」とまとめる必要はない。パリで個人メダルはなかった。病気前の自己ベストへ完全に戻ったという結末でもない。それでも世界の舞台で泳ぎ、悔しさを抱えたまま次を目指す時間が続いている。

復活し切れなかった悔しさも、そのまま残す

スポーツでは「復活」という言葉がよく使われる。だが、何をもって復活とするのかは本人にしか決められない。大会に戻ることか、日本代表に戻ることか、自己ベストを更新することか、世界一になることか。池江の歩みは、その言葉を簡単に完了形にしない方が誠実だ。

勝てなかったレースはある。戻し切れなかったタイムもある。それでも、治療後にもう一度競技者として勝敗の世界へ戻ったことは、結果とは別の意味を持つ。負けたレースがあっても、その人を敗者にする必要はない。悔しさを抱えて次のスタート台へ向かう時間こそ、人生に残る記録なのだと思う。

「出場できた」だけでは満足できない場所へ戻った

治療から競技へ戻る過程では、「泳げた」「大会に出られた」「日本代表に戻った」と、一つ一つの段階が大きな出来事になった。しかしトップアスリートとして競技を続ける限り、やがて評価の基準は再びタイムと順位になる。2024年パリ大会で池江が個人種目の決勝を逃して涙を見せたことは、その厳しい世界へ本当の意味で戻っていたことの裏返しでもある。

病気を経験した選手に対して、見る側は「ここまで戻っただけで十分」と言いたくなる。もちろん、その歩みは大きい。だが本人が勝ちたい、決勝へ行きたいと望むなら、その悔しさまで「十分頑張った」で包んでしまうのも違う。選手として扱うとは、復帰を称えることと同時に、勝てなかった悔しさを勝手に薄めないことでもある。

完全寛解の報告後も、競技の時間は続いている

池江の公式プロフィールには、2024年9月に急性リンパ性白血病の完全寛解を報告したことが記されている。発症から五年以上を経て届いた大きな節目だった。一方で、競泳選手としての目標まで同時に完了したわけではない。現在も次のオリンピック出場を見据えてトレーニングを続けている。

「完全寛解」と「競技者として完全に元へ戻る」は、同じ意味ではない。身体の記録は病気前の自分と比較され、世界の水準も止まらず進む。復帰後に勝った大会もあれば、届かなかった決勝もある。病気を克服したという大きな物語の陰で、競泳選手としては普通に負け、普通に悔しがり、また次のレースへ向かう。その日常を取り戻したこと自体が、復帰のもう一つの意味なのかもしれない。

最後にメダルを取らなければ物語が完成しないわけではない。自己ベストまで戻らなければ「復活失敗」になるわけでもない。望んだ結果に届かなかったレースを、悔しかったレースとしてそのまま残す。そして、その翌日も水へ入る。その時間まで見れば、「勝てなかった」と「負けた人である」はまったく別のことだと分かる。

「泳げるようになった」が、やがて最低条件へ変わっていく

治療直後なら、水へ戻ること自体が大きな目標だった。実戦へ出る、日本選手権へ出る、代表へ入る。一段ずつ戻るたびに周囲は驚き、祝福した。しかし競技者本人の基準は、戻るほど厳しくなる。やがて「出場できた」ではなく「決勝へ行けたか」「世界と戦えるタイムか」が再び物差しになる。

これは残酷でもあり、同時に競技者としての日常を取り戻した証拠でもある。病気を経験したから負けても仕方がない、と永遠に扱われることを本人が望んでいるとは限らない。パリの準決勝で涙を見せた姿は、特別扱いされる患者ではなく、目標に届かなかった競泳選手としてそこにいたことを示している。

病気前の自分も、復帰後のライバルになる

復帰したトップ選手には、現在の相手だけでなく過去の自己ベストがついてくる。「以前はもっと速かった」という比較は、見る側にも本人にも簡単に消せない。一方で、治療を経た身体を病気前とまったく同じ条件で測ることもできない。

だから池江のレースを見るとき、以前の数字へ戻ったかだけで判断したくない。スタート台へ立つまでの身体は変わり、世界の水準も変わる。その中で今の身体から何を引き出したか。復帰とは過去へ戻ることではなく、現在の自分で再び競争へ入ることだ。

完全寛解という大きな節目の後にも、普通の敗戦がある

2024年9月の完全寛解の報告は、発症から長い時間を経た大きな節目だった。ただし、それは競泳の目標が同時に完了したという意味ではない。健康上の節目と、アスリートとしての目標は別の線を進む。

この二つを分けて書くことは、闘病の重さを小さくすることではない。むしろ、病気を乗り越えた後にも普通にレースで負け、普通に悔しがり、次の練習へ行く一人の選手として扱うことにつながる。感動物語の主人公ではなく、競技者の日常へ戻った池江を、そのまま追いたい。

FOCUS|スタート台へ戻ることと、そこで勝つことは別の課題

競泳では、スタートの合図が鳴れば病歴によるハンデがタイムから差し引かれることはない。同じ50メートルのプールで、同じ時計に測られる。そこへ戻ること自体に大きな意味があっても、競技は容赦なく順位をつける。

だから池江の記事では、「病気を経験したのにここまで来た」という視線と、「一人の競泳選手として目標に届いたか」という視線を両方持っておきたい。前者だけなら悔しさが消え、後者だけなら治療からの時間が消える。二つを同時に置くことが、本人を一つの物語へ閉じ込めない方法だと思う。

レースを見るなら、ゴール後の数秒にも目を向ける

競泳はタッチした瞬間に順位が出る。選手は電光掲示板を見上げ、自分のタイムを確認する。歓声がある日も、思った数字でなく視線が落ちる日もある。そこに何を感じたかは本人の言葉がない限り決めつけられないが、結果を受け取る瞬間まで含めて一つのレースだ。

パリの涙を「感動的な復活」の材料にするより、決勝へ届かなかった一人の選手の悔しさとして残す。その上で、リレーでは仲間と世界5位へ進んだことも同じページに置く。一大会の中に複数の感情があることを、きれいに一色へまとめない記事にしたい。

この記録を、結果の一行で終わらせないために

池江璃花子の記事を「病気に勝った人」で終えると、競泳で負けた日の本人を置き去りにする。反対に、タイムだけを追えば治療から戻った身体の歴史が消える。二つの尺度が同じ人の中にあることを、そのまま残す必要がある。

回復を祝うことと、競技者としての悔しさを尊重することは両立する。決勝へ届かなかった日は悔しい日として書き、リレーで世界5位になった日はチームの結果として書く。どちらかを感動の結論にしないことで、次のレースへ続く現在形の選手として見えてくる。

見る側も、池江を「特別な選手」だけにしない

病気を経験した選手を見ると、私たちは結果より物語を先に見てしまいやすい。だが池江がスタート台へ立つ時、本人が争っているのは物語の美しさではなくタイムだ。応援する側がその厳しさを忘れないことも、競技者への敬意だと思う。

良いタイムなら喜び、届かなければ悔しい。その普通の競技感情を持てる場所まで戻ったことは、復帰の一つの到達でもある。病歴を忘れず、同時に病歴だけで全てのレースを説明しない。その距離でこれからも記録を追いたい。

池江の競技歴をこれから追う時も、病気前の自己ベストだけを絶対的な基準にはしないようにしたい。現在の身体、現在の世界水準、本人が今掲げる目標。その時点の競技をその時点のものとして見ることが、過去を忘れずに現在を尊重することにつながる。

復帰を語るとき、見る側はつい一つの到達点を探したくなる。けれど競泳生活は、その後も大会ごとに更新される。勝った日も届かなかった日も、治療から戻った一人の選手が現在進行形で積み重ねている記録として追い続けたい。

ハレのひとこと

「復活した選手」と呼ぶだけでは、本人が感じる悔しさを置き去りにすることがあります。戻ったあとも勝てない日はある。その悔しさを消さず、それでも挑戦が負けではないと書き残したいです。

この記事は競技団体、自治体、所属先、本人インタビュー等の公開資料をもとに構成しています。本人の内面が公開資料で確認できない部分は推測せず、結果と公表された言葉を軸に記しています。
編集:ハレ