最後の一局だけを切り取れば敗戦でも、そこへ至るまでに積まれた2505局の時間は消えない。加藤一二三の記録には、勝敗の数を超えて、将棋と生きた一人の輪郭が残っている。
加藤一二三の通算成績は2505対局、1324勝1180敗、1持将棋。勝数も途方もないが、敗戦数も歴代最多として知られる。名人を獲得し、タイトル8期、A級在位36期。これほど勝った棋士が、同時にこれほど負けてもいる。
長く第一線で戦うということは、勝ち続けることではない。負ける回数も増えることだ。若い才能に負ける。ライバルに負ける。順位戦で降級する。それでも次の対局日に盤の前へ座り続ける。62年10カ月という現役生活は、勝利の積み重ねであると同時に、敗戦のあとに次局へ向かった回数の積み重ねでもあった。
史上初の中学生棋士として14歳でプロ入り。18歳でA級八段へ進み、「神武以来の天才」と呼ばれた。若くして名人戦にも挑戦したが、最初の挑戦では大山康晴に敗れた。その後も棋界の頂点をめぐる長い競争が続く。
名人位を獲得したのは1982年、中原誠との第40期名人戦。持将棋や千日手を含む長いシリーズを4勝3敗で制した。若い天才が一直線に頂点へ行ったのではない。最初の名人挑戦から二十年以上を経て、ようやく名人になった。
2017年6月20日、竜王戦6組昇級者決定戦、高野智史戦。日本将棋連盟はこの一局を加藤の「2505局目」と記録している。結果は敗戦。その一局をもって現役生活は終わった。
最後だから勝つ、という物語にはならなかった。投了後は感想戦をせず会場を離れた。後に、長年支えた妻へ最初に引退を伝えたかったことが明かされている。引退会見では晴れやかな表情で「すっきりした」という趣旨を語った。最後の一局の結果と、棋士人生全体への本人の受け止めは同じではなかった。
1180敗という数字を「不名誉な記録」とだけ見ることはできない。そこまで負けられるのは、長く勝ち残り、何度負けても次の公式戦へ出続けたからでもある。不戦敗がなかったと報じられていることも、盤の前に座り続けた姿を象徴している。
棋士にとって敗戦は痛い。順位も落ちる。タイトルを失う。引退に近づく一敗もある。それでも、負けを避けるために戦わないという選択はできない。勝ちたいから盤の前へ座り、座るから負ける可能性も引き受ける。
人は最後の場面を物語の結論にしたくなる。だが加藤の最終局が敗戦だったからといって、62年10カ月が「敗れて終わった人生」になるはずがない。逆に、最後が勝利だったとしても、それだけで長い棋士人生を説明できない。
勝った1324局と、負けた1180局。その両方があって2505局になる。記録の中で、敗戦は削除すべき汚点ではなく、挑戦を続けた証拠の一部だ。加藤一二三という棋士を見ていると、「敗者はいない」という言葉はきれいごとではなく、長く戦った人の数字そのものから浮かび上がってくる。
1982年の名人獲得は、長い棋士人生の大きな頂点だった。ただ、その頂点も永続するものではない。翌1983年の第41期名人戦では谷川浩司に2勝4敗で敗れ、名人位を失っている。ようやくたどり着いた場所から、一年後には降りる。タイトル戦の記録は、勝者の名前だけを残すが、その裏には「手にしたものを失う」経験も同じだけ刻まれている。
若くして天才と呼ばれた人ほど、周囲は「勝って当然」という物語を作りやすい。だが実際の加藤は、20歳で最初の名人戦に挑みながら大山康晴に敗れ、そこから二十年以上を経て名人になった。棋聖戦などでもタイトル挑戦に敗れた記録が残る。才能があったから負けなかったのではない。大きな敗戦を何度も受けながら、それでも次の盤へ向かったから、長い時間の中で頂点にも届いた。
現役最晩年の2016年12月、加藤は藤井聡太と公式戦で対局した。自分が長く持っていた最年少プロ入りの記録を更新した14歳の新棋士と、70代後半まで現役を続けた棋士が同じ盤を挟んだこと自体が、62年を超える現役生活の長さを物語っている。世代は入れ替わる。かつて最年少だった側が、やがて新しい最年少と戦う側になる。
スポーツや勝負の世界では、若い力に抜かれることを「衰え」とだけ表現しがちだ。しかし、抜かれるところまで現役でいることには別の価値がある。勝てなくなる局面、順位が落ちる局面、世代交代を突きつけられる局面を避けず、公式戦の席に座り続ける。加藤の1180敗は、強さの反対側にある数字ではなく、その席から逃げなかった時間の大きさでもある。
加藤一二三は14歳で棋士になり、18歳でA級へ上がった。若い時期の記録だけを見れば、何でも早く手に入れた人に見える。だが名人位だけは違った。最初の挑戦で大山康晴に敗れ、そこから二十年以上を経て42歳で名人になった。
早熟の天才という呼び名と、長く届かなかった頂点。その二つが同じ人にあることが面白い。才能がある人ほど、負ければ「なぜ勝てなかった」と問われる。加藤の棋士人生は、若くして完成した天才の話ではなく、早く始まりすぎたからこそ、負ける時間も人一倍長く引き受けた人生でもあった。
1982年に中原誠を破って名人になった翌年、谷川浩司に敗れて名人位を失う。二十年以上待った頂点に立ち続けられたのは一年だった。勝負の世界では、長い努力に見合った在位期間が保証されるわけではない。
それでも加藤は、その後も三十年以上公式戦を指した。タイトルを取った瞬間を人生の頂点として固定すると、その後は下り坂に見える。しかし実際の現役生活では、頂点から降りた後の時間のほうが長い。失ったあとにも次の対局へ行くことが、棋士であり続けるということだった。
最終局で敗れた加藤は、通常の感想戦をせず会場を離れた。後に語られた理由の一つは、長く支えてきた妻へ最初に引退を伝えたかったからだった。公式記録には「高野智史戦・敗戦・引退」と残るが、その直後には家庭へ戻る一人の生活があった。
2505局という数字は巨大だが、棋士も盤の前だけで生きるわけではない。最後に何をしたかという小さな行動が、62年10カ月を人間の側へ引き戻す。1180敗を数えるだけでなく、その一局一局の外側に生活があったことも忘れずにいたい。
将棋は接触のない競技だが、公式戦の敗戦は棋士の順位や次の対局条件へ直接つながる。何時間も考えた末に、自分で「負けました」と認めて終える。一つのミスが何手も後まで残り、終局後にはその局面をもう一度並べ直す感想戦もある。負けた直後に、なぜ負けたかを相手と確認する世界だ。
1180敗という数字は、1180回気持ちよく切り替えられたという意味ではない。悔しい敗戦も、納得できない敗戦もあったはずだが、確認できない感情をこちらで作る必要はない。ただ、敗戦の後にも公式戦の予定が続き、加藤が盤の前へ戻り続けた事実は数字そのものに残っている。
棋譜には着手だけが残るが、対局の大半は手を指していない時間である。盤を見つめ、立ち上がり、また座り、時計を確認する。長考の末の一手が数秒で記録される。2505局という数を実感するには、その一局一局にこうした沈黙の時間があったと考える必要がある。
最後の高野智史戦も、記録上は一つの敗戦だ。しかし最年少棋士だった少年が、七十代までその沈黙を繰り返し、最後まで勝敗のある席に座った。勝ち数だけでなく、盤の前にいた時間そのものを記録として読みたい。
将棋界には勝敗の記録が非常に細かく残る。それは便利である一方、数字が人そのものの評価に見えてしまう危うさもある。1324勝と1180敗は反対の数字ではなく、同じ2505局を別の側から数えた数字だ。勝利だけでは62年10カ月を作れない。
加藤一二三の長さを実感するには、最後の敗戦だけでなく、名人へ届くまでの二十年以上、名人を失った後の三十年以上、新しい最年少棋士と盤を挟むまで現役だった時間を一緒に見る必要がある。長く戦うとは、勝ち続けることではなく、負けても次の対局が来る生活を引き受け続けることだった。
引退が決まっている最終局でも、相手は記念対局のために手加減するわけではない。高野智史にとっても公式戦であり、加藤にとっても勝敗のつく一局だった。最後だけ特別に美しい結末を用意されなかったことは、むしろ62年以上の現役生活にふさわしい。
勝負の世界にいる限り、最後まで負ける可能性が残る。加藤一二三はその可能性を避けず、最後の一局まで公式戦として盤へ向かった。敗戦で終わったからこそ、引退の日まで「元棋士」ではなく現役棋士だったとも言える。
加藤の記録を読むと、勝利数と敗戦数はどちらか片方では意味が薄い。勝って上へ進んだから次の強い相手と当たり、負けても現役だったからまた次局が来た。二つの数字が絡み合って、62年を超える現役生活になった。
1180敗。それでも、いや、それだからこそ2505局です。負ける可能性のある場所へ62年以上座り続けた。最後の一局が敗戦でも、その人の人生を敗北と呼ぶことはできません。